屋台彫刻
高砂市東ノ町

「東 菅公 曽根の松」
二尺×一尺×一尺、四枚一組の欄間。菅原道真が太宰府へ流される途中嵐に合い、高砂の曽根に避難され、その時松の小枝を植えられた、その言伝えを図案化した。その場所は天満宮となり曽根の松が今も、信仰、祭りとして引き継がれている。欅材の透かし彫りを三段に組合せ、隠し彫りで東の青龍を彫り込んでいる。

「南 岩見重太郎 天乃橋立」
父の仇討のため、領主京極家に乞うて天橋立の濃松の地で三人を討ち取り、本懐を遂げた場面を、図案化した、隠し彫りで南の朱雀を彫り込んでいる。

「西 平 清盛 宮島」
平氏棟梁として、平治の乱で勝利し、武士として初めて、太政宗大臣となる。平家納経の繁栄を願って、巌島神社に奉納されたり援助によって今日のような海上社殿を造った。繁栄ぶりを図案化した。西の白虎を隠し彫りしている。

「北 伊達政宗 松島」
奥州の覇者で「独眼竜政宗」の異名で知られ、伊達男という言葉の由来になった。馬上の政宗公を中心に、仙台城(青葉城)を、遠景に松島の島々を配するように、図案化した。北の玄武を隠し彫りした。